こんにちわ、ボウズです。
モラハラ主人との話し合いは成立しないとわかっていたので、私は主人が仕事に行っている間に昼逃げしました。
事情をよく知っていた友人が大きい車を持っていて、ありがたいことに協力してくれたのでとても助かりました。
当時は専業主婦だったので、3週間ほど前から主人が仕事へ行っている間にバレないように少しずつ要らないモノの処分ばかりしていました。別居後の息子が少しでも安心して過ごせるように息子のおもちゃは全て持っていきたかったので、自分の荷物はできるだけ少なくして、自分の服など買い戻せるものはほぼ捨てました。
事前に弁護士の先生から、万が一忘れてしまっても取りに戻ることはできない、と言われていたので当日の持ち出しリストを作成して、徹底しました。
いざ当日。
いつも通りに主人が仕事へ出て行ったあとは心臓がバクバクしながら、友人へ連絡し計画とおりに実行しました。
事前に持ち出しリストを作っていたので忘れ物をすることなくスムーズに運びだしを終えることができましたが、いつ突然主人が帰ってくるんじゃないかと気が気でなかったです。
事前に弁護士の先生から決行日が決まったら教えてほしいと言われていました。
なぜかというと、置き手紙の準備と、内容証明を送るからということでした。
確かに急に妻と息子が居なくなったら事件かもしれないとか考えますよね。(荷物もないですが…)
主人の人柄について私から話を聞いていた先生は、事前に警察に相談しておいてはどうかと勧められましたが、最後まで悩んだ末にしませんでした。私のことは憎んでも息子のことは愛しているから悲しませることはしないだろうと信じたかったというのが一番の理由です。
なので、家には私からの置き手紙と、先生からの手紙(今後の手続きについて)だけを置いてでました。
そして翌日には先生から主人へ内容証明郵便がだされました。この内容証明がとても大事なものだったと後々に気づきます。(それはまた後日。)
そして全てが終わった決行日の夜、主人からの連絡は電話の着信が一度だけありました。
しかし、先生からの置き手紙のなかに”今後は妻と直接連絡をとらないように”と書かれているからか、あのしつこい彼からの連絡はその一度だけでそれからは二度と鳴ることはありませんでした。
それからの数日は実家へ主人がくるんじゃないかとヒヤヒヤして、なるべく家には居ないように外出ばかりしていました。
その晩のことは、強く覚えています。
これからのことが不安で大変だろうけれど、
息子と笑って普通の音量で会話ができる、幸せ。
主人が帰ってくる時間を気にして怯えなくていい、幸せ。
同じ空間にいると息がつまりそうになることもない、幸せ。
部屋が散らかったままにしておける、幸せ。
挙げだしたらきりがないくらい、心がほっとして、開放されて、息子の寝顔を眺めながら涙が溢れ、自分、がんばった。と心から感じた日になりました。
私だって、こんな形で終わりになるはずじゃなかった。別れるにしても、きちんと話し合いだってしたかった。でも、できない。できない。話が通じないから。
昼逃げは悪じゃない。自分と息子を守る唯一の手段だったから。
まだ離婚に向けたスタート地点に立てたというだけだけど、でも、ただ漠然と、きっともうこれからは大丈夫、という思いがありました。